>「独島が日本の領土という証拠より、対馬が韓国の領土という歴史的な考証と資料のほうが多い」
▼対馬も韓国の領土’で対抗…許泰烈議員(08/07/16)>ハンナラ党の許泰烈最高委員「歴史的に見ても対馬が日本の領土となったのは明治時代から。
対馬島主は新羅や朝鮮時代まで韓国政府が任命した」とし「その後また日本の情勢が変わり、
対馬島主が日本と韓国に同じように朝貢する中立地帯だった」と説明した。
>「独島が日本の領土という論拠より、対馬が韓国の領土という、より大きな論拠と
証拠を持っている」とし「‘対馬も韓国の領土だ’という主張で対抗するのが良い方法だ」
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結局のところ、証拠のパンチが弱い竹島から、対馬へシフトチェンジっぽいですね。
対馬を支配していた宗氏が、李氏朝鮮と嘉吉条約をむすび、防衛・貿易の面で
日朝双方の庇護下に入ったことは事実ですが、水際の小大名の外交の常套でしょう。
こんなので正当な領有権を主張するならば、
日本も朝鮮も支那の属国という位置を承継しなければならない気がしますが。なんともバカバカしい話です。
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李従茂は敗軍の将
▼『韓vs日「偽史ワールド」』水野俊平/著、小学館
(P.166~P.177 第3章 英雄譚偽史 > 第5節 対馬は韓国の領土)
対馬が朝鮮の領土という根拠は全く無いようです。
しかし、この本には
「応永の外寇=糠岳戦争(朝鮮では己亥東征(기해동정)=對馬島征伐(대마도 정벌)」
に関する肝心な情報がほとんど抜けています。
▼「嫌韓流 実践ハンドブック 2(反日妄言半島炎上編)」桜井誠/著、晋遊舎
(P.100~P.105 【日本のものはウリのもの!?卑劣な反日運動】13
対馬は韓国領であり、取り戻さなければならない)
P.102【・・・二〇〇五年三月一八日に今度は韓国慶尚南道馬山市議会が対抗措置として
「対馬の日」を制定したのである。
制定された条例は「対馬が韓国領土であることを内外に刻印させ、
領有権を確保することを目的にし、
李朝第四代国王世宗の時に李従茂(イ・ジョンム)将軍が対馬征伐のため、
馬山浦を出発した六月一九日を『対馬の日』にする」との内容であった。】
【李従茂(イ・ジョンム=이종무)・・・倭寇征伐という理由で対馬を侵略した朝鮮軍の総大将。
一四一九年六月、朝鮮軍は対馬へ攻め寄せたが現地で敗北。
そのまま戦線は膠着状態になり、同年七月に講和を結んで朝鮮へ帰還した。】
「朝鮮軍の敗北」と、ここにも・・・
韓国慶尚南道馬山市議会の制定した「対馬の日(6月19日)」が
敗軍の将である李従茂(イ・ジョンム)将軍が対馬征伐のため、
馬山浦を出発した日とは・・・(笑
ちなみに、
李従茂(李從茂)は分かったけど、朴実(朴實)は左軍節制使?
http://sillok.history.go.kr/inspection/insp_king.jsp?id=wda_10107022_006
http://sillok.history.go.kr/inspection/insp_king.jsp?id=wda_10108016_003
2008-11-08 土 05:59:56 /URL /応永の外寇 /
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